本日、参加した
第44回早稲田こども日本語研究会「移動する子ども」学を考える シリーズ
で色々考えたことがありましたので、自分の覚書、頭の整理、のために書き留めてみました。
X(旧Twitter)でのポスト
お話を聞いた後で
- 主体的な学び
- 自分がどう生きるか、にフォーカス
- 言語習得には終わりがない
の3つが大切なのではないか、と私自身感じました。
その他、細かい内容のまとめは以下の通りです。青字は私の感想です。
a. 文法云々よりまずは語彙
b.「やりとり」が「学ぶ」ことへの喜び
c.語学を超えた基礎知識があることが大切
d.遊びたい、という気持ちが「学ぶ」ことへの意欲
e.自分の居場所を作る
f.自分の得意言語で自信をつける
g.言語習得には終わりがない
h.やる気スイッチをみつける
i.日記のすすめ
j.親の態度
a. 文法云々よりまずは語彙
ドイツの学校で学んだ最初の言葉は「定規」だった、と今も記憶している。
日本語コースの始まりにいつも言っているのは、文法知識がいくらあっても語彙がなかったら「わかる」ことも「話す」こともできないから、どんどん色々な日本語に触れてほしい、ということ。語彙ありきの文法だと思う。
b.「やりとり」が「学ぶ」ことへの喜び
自分の話す言葉が相手に通じる、というのは嬉しいので、それで学ぶ意欲になった。
人との「やりとり」をどう導入していくかは「海外の趣味の日本語学習者」には難しいが、「アニメなどが聞き取れる」というのもひとつの自信/喜びにつながる行為ではある。
c. 語学を超えた基礎知識があることが大切
補習校で学んだことが活かされる
母語で知識がないことを第二言語で学ぶより、母語で知識があることを第二言語で理解することの方がやさしい
間接法でいろいろな説明が一瞬に理解できるというのは、強みとして生かしたい。
e. 自分の居場所を作る
-好きな活動(音楽活動など)をすることで世界が広がる
-語学以外の才能で認められることで満足感が得られる
f. 自分の得意言語で自信をつける(セミリンガルとしての葛藤)
体験談:ドイツ語より日本語の方が自分を表現できると感じて、日本の大学に行くことにした。
- 日本語のみで勉強することで日本語能力が上がって満足
- 自分が得意な言語で学んで吸収できたことへの満足感から、第二言語への勉強の意欲をあらためた。
両方の言語習得向上を必ずしもいっしょにしようと思わなくてもいい。自己否定をしないことが大切。バランスを重視。
自己目線と他者目線:「自分が思っているほど自分の語学力は悪くない」と他人の言葉で認識する
なんでもいいから、「強み」「好きなこと」「語れること」があるのは大切なのではないか
g. 言語習得には終わりがない
複数言語の能力の維持、向上として自分の好きな分野、仕事の分野などの本を言語に意識しながら読む
人との触れ合いがその後(仕事など)につながる=言語は手段
自分自身もaudibleで聞いていても、友人とのメッセージのやり取りにおいても言葉の使い方に気をつけてるし、それは、イタリア語でも日本でも同じなので言語の習得に終わりがない、というのは共感する。
h. やる気スイッチ
自分のやったことが認められたり、周りからの評価で、自分の語学力の実力に自信を持つことにつながる。
小さなことの積み重ね(ひとつとは限らない)
実際のところ、後から考えて、「あれがきっかけだったな」「あれがやる気を起こさせてくれたのかも」ということが多いのかもしれないと思いました。
i. 日記のすすめ
他人に見せるわけではないという気楽さで文法など気にせず書ける。
書くことで少しずつ、語彙力文法力がつく。
添削されなくても自分の記録としても大切なんだ!
j. 親として
子ども目線から、親を見ているので、「子供をどうしたい」ではなく「親として、どうするか(どう生きているか)」を子どもに見せる。
親は全ての解答を持っているわけではないということを子どもと共有
記録として見直すことができる。
複数言語がごちゃ混ぜになることに対して意識しすぎない。伝えたいという気持ちを大事にする。
親と話すときは日本語だけ、とか日本語で話しかけられないときは返事をしちゃダメ、などということを聞いたことがあって違和感があったが、親と会話したいという子どもの気持ちをふみにじるのは本当にダメ!言語が全てじゃない。
つらつらと思いつくまま書きましたが、継承語教育で悩んでいる人にぜひ読んでもらいたい本だと思いました。(とはいえ、本はまだ読んでない😅)
コメント
コメントを投稿